読みのスリルとサスペンス

〜深層読みで名作に迫る〜


文章の中に隠された真実に近づくスリルとサスペンス、 やっと辿り着いて文章の意図が分かった時の深い感動と共感・・・。 そんな深読みスキルを身に付けると、日本語力がアップする!
中高生から社会人まで、国語が気になるすべての人に。

著者:広井 護

サイズ:A5版 252ページ

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定価:1728円(税込)   数量  

////おかげさまで… 重版出来!!(2016年5月20日)/////// 

実は、名作は面白い! 大人もハマる『読み』の授業 

Surprised「坊っちゃん」はなぜ無鉄砲?  Undecided「咳をしても一人」って、 どういう意味? 

Tongue out「ローマの休日」は、なぜローマなの?  Wink  笑わないはずの「褒姒の笑い」の意味はなに? 

 



 本文より…


国語ってインチキ? ━━ 「主観的読み」と「客観的読み」 


 「文学作品の読みは、主観的なものだと思いますか? それとも客観的なものだと思いますか?」
 国語の授業を、わたしはこの問いかけから始めることにしている。対象が中学生のときも、高校生のときも、社会人のときも同じである。
たとえば、島崎藤村の『千曲川旅情の歌』の冒頭――。


 小諸(こもろ)なる古城のほとり
 雲白く遊子(ゆうし)悲しむ


   「この二行には、誰が読んでもそう読めるという客観的な決まった読み方があるのでしょうか。それとも、十人の人が読めば、十人それぞれに違った読み方があっていいのでしょうか。
どう思いますか?」
 この問いかけに、生徒たちの目は真剣になる。社会人の場合はさらに真剣になる。多くの人々が国語に対して日頃から抱いている疑問に、この問いが触れるからだと思う。
 国語は(特に「現代文」は)、生徒たちから敬遠されやすい科目である。つかみどころがない。あいまいだ。授業によって、国語の力って本当につくのだろうか。勉強の仕方がわからない。
 ……等々、「とらえどころがない」というマイナスイメージで語られることが多い。なんとなくあやしい科目だと思われているふしもある。
 大人になってからも、国語についてマイナスイメージを持ち続けている人をわたしはたくさん知っている。その根っこに、読みは主観的なものなのか、客観的なものなのか、という疑問に明確な答えがあたえられていないことがあると思うのである。
 さて、わたしの問いかけに対する生徒たち(特に中学生)の反応は劇的だ。
 五十人のクラスで、四十人近くが、「読みは主観的なものだ」の方に手をあげる。
 「読みは客観的なものだ」に手をあげる生徒は、わずかに三、四名である。つまり多くの生徒が、文学作品を読むときには、人ぞれぞれの解釈があってよいはずだと思っているのだ。
 そこで、次のように語りかける。
 「なぜ、みんなが国語があまり好きでないのかという理由がこれではっきりわかった。みんなのなかの多くの人は、読みは主観的で自由なものだと思っている。ところが、試験の点数は客観的なものだ。八十点の答案は六十点の答案より二十点だけ点がよい、というのは客観的事実だ。
 そこでみんなは漠然とこう感じる。主観的な読みを客観的な試験によって評価するのはおかしいのではないか。国語の試験というのはインチキじゃないのか。国語の授業もなんかインチキくさい」
 このように語りかけると、多くの子どもが強くうなずく。
 「こんな疑問を感じたことのある人?」
と聞くと、たくさんの手があがる。そこで、
 「この問題に、先生なりに答えを出しておきたい。先生は、こう考えています」
と、話を続ける。

【…続きは買って読んでね】



感想がたくさんよせられています!


 広井先生のこと

 獨協中学・高等学校 国語科教師  坂東 広明

 「スルッどい!」 広井先生といってすぐ頭に浮かんでくるのは、この言葉である。先生は授業中、よく質問された。その質問に良い答えをすると、「スルッどい!」と言ってもらえるのだ。この一言をもらうために、僕たち生徒は競ってそれぞれの考えをよく発言したものだった。 僕たち60回生と先生は、確か同じ年に「入学」したのではなかったかと記憶している。そして中学1年、2年と授業を受け持っていただいた。ご本の中で先生がお書きになっていることに基づけば、先生が国語教師として何を教えたら良いかと悪戦苦闘していた時期に当たる。しかし、その雑談だらけの破天荒な授業が、僕たちにはたまらない時間だった。何が起こるか分からないワクワク感が、先生の授業にはあった。そうした先生との出会いがなければ、僕が中学・高校の国語教師を目指すこともなかったであろう。 
 国語の教員志望という事もあり、卒業後も何度か先生を訪ねたことがある。そのとき先生から「国語の科学的授業を研究、実践している」という話を伺い、「ああ、先生も普通の授業をする普通の先生になってしまったのか……」と一抹の寂しさを感じていたのだが、今回この本を読んで、そのときの僕の感想が誤解にすぎなかったことがはっきりしてうれしかった。先生は相変わらずスリルとサスペンスに満ちた授業で生徒をワクワクさせてくれる、特別な先生だった。 
 「スルッどい!」 久しぶりにまた先生の授業を受けてみたいと、強く思った。


【読者からの声】

 

・対話形式の書き方に引き込まれた。授業に参加しているような臨場感があり、生徒や先生の思考を追体験することができた。一方的な説明でないところがとてもよかった。


・この本を読んでから、本を読むとき、一言一句にこだわって読むようになった。なぜ、「も」なんだろうかとか、なぜここは「は」なんだろうかとか。一語一語の大切さを感じるようになった。

・現国の試験の解答は、数学みたいに客観的に出せるんだということにあるときから気がついていたけれど、そのことの面白さや深い意味がわかっていなかった。もう一歩深く読めば、世界が変わっていたのにとくやしくなった。 

・仮説を立ててそれを検証していくという点では、「読み」と「自然科学」は同じだと思った。科学的な発見も、仮説を立ててこそ得られるものだ。「読解」も仮説から始まるのだとわかって苦手だった国語に興味がわいた。

・理科を教えているけれど、理科の授業でも使える内容だった。生徒と教師の問答がとてもリアル。 


【教え子からの感想】 
・忘れていた授業の一部が急に蘇ってきたりした。そのときの広井先生のしぐさや表情まで思い出した。

・「褒姒の笑い」の授業は忘れていたけれど、本を読むうちに思い出した。35年前の授業なのに、7割ぐらいが蘇ってきた。あのときは、広井先生の手書きのテキストで、まずその字が読めず、内容もわからなかった。わからないけれど面白かった。今度先生の本を読んで、こういう話だったのかとわかった。